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1954年(昭和29年)12月22日 蔵前国技館に1万5千人もの満員の観客で埋め尽くされた試合があった。プロレス日本一を決めようという「全日本ヘビー級選手権試合」だ。この試合は"昭和の巌流島決戦"と呼ばれ、組まれた試合こそ力道山 対 木村政彦戦。近年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で有名になったのは多くの人が知るところです。かくいう私もその一人ですが。
あの試合からちょうど60年。知らない人のためにも振り返ってみようと思います。上の画像は「男の星座」(原作/梶原一騎 漫画/原田久仁信)。

1954年2月、世界タッグチャンピオンのシャープ兄弟との試合にて力道山と組んだのが木村でした。シャープ兄弟は木村を重点的に痛めつけて引き分けに終ります。シャープ兄弟は今後のビジネスのためにも力道山よりは木村を攻撃した方が良いと考えたかはわからないものの、木村は力道山の引き立て役になるのが我慢なりませんでした。
ちなみに力道山がテレビで紹介される際に使われる映像の多くは このシャープ兄弟戦なんです。よく見ると木村も登場するので今後は注意してご覧になってください。

5月になって木村は故郷の熊本で国際プロレスを設立。同時期に大阪でも全日本プロレス協会が設立したことにより国内のプロレス団体は一気に3つになりました。11月25日、木村は力道山に挑戦状を叩きつけて この試合が組まれることになります。よくよく考えたら一ヶ月もしないうちに実現するなんて前もって打診があったかも??

けれどこの試合は八百長が最初から決まってました。主催の毎日新聞がどっちのメンツにも傷つかないように引き分けを持ちかけていたのです。これに両者了解。三試合予定して最初の東京で引き分けて次の大阪でも引き分け。東京に戻っての三試合目は改めて協議すると。

しかしそうはなりませんでした。映像での9:12による木村の金的攻撃に力道山がキれて本気になります。動きが一転して早くなったのがおわかりいただけるでしょう。9:40ごろにロープに追い詰めての本気の蹴りは見るからに痛そうだ。
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結果、15分19秒に10カウントで力道山が一本目を勝利。三本勝負でしたが木村のダメージが大きいことによりこのまま力道山が初代チャンピオンとなります。予定していた残り2試合も行われませんでした。画像は「男の星座」。

映像はここまで。けれど漫画ではここからの展開があるのですよ。力道山が勝ったことで全く予期しないことが起こります。第三の人物・大山倍達が名乗りを上げる!
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画像は「空手バカ一代」(原作/梶原一騎 漫画/つのだじろう)。
実際にはリングに上がらなかったものの、名乗りを上げたのは本当のようです。この試合を実際に二階の大衆席から観ていた梶原一騎は、この三者が織り成すドラマに感銘を受けて自身の遺作になった「男の星座」の冒頭に持ってきてます。それだけこのエピソードは作家にもなる分岐点であったのでしょう。
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