「ブラック・ジャック創作秘話」における永井豪が締め切りを守るわけ

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『週刊少年チャンピオン』に短期集中連載している「ブラック・ジャック創作秘話 ~手塚治虫の仕事場から~」が今回で最終回。そのラストを飾るのが永井豪氏が語る手塚先生のエピソードなんですけど、同時に永井氏が必ず締め切りを守る理由とかが描かれていたのでそちらの方を取り上げてみようと思います。

1980年、手塚・永井ら漫画家十数人がアメリカにて催された「コミック・コンベンション」に参加。手塚は会場に原稿を持ち込んでまで締め切りに追われていたのに対し、永井は連載4本抱えながらも全て仕上げてきたという。歴代の担当のコメントでも「締め切りで苦労させられたことは一度もなかった」「手塚番・赤塚番という言葉はあっても永井番はなかった。あれほど多作なのに必ず締め切りを守ってくれました」とすこぶる評判も良し。
締め切りに必ず追われる手塚と必ず守る永井、締め切りを守れるのはどうしてかとの問いに「アシスタント時代のトラウマかなぁ」と つぶやきその時代へ…

アシスタントをしていたのは石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)。おそらく1965・6年でしょう、先生の置いた原稿を取ろうとして永井の背中には13人26個の視線がグサグサ突き刺さります。
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それは原稿が仕上がるのを今や遅しと殺気立ちながら待つ13人の編集者たちによるものでした。先生のみならずアシスタント一同がその視線を浴びるのですからさぞ大変なプレッシャーだったことでしょう。まるで漫画やドラマのような場面が実際にあったのですね。
先生と二人で月産200枚を仕上げていた多忙なアシスタント時代、ここでの経験が精神的にも技術的にもレベルアップに役立ち、原稿を早く仕上げられるようになったとか。

またデビュー当時はギャグ漫画がメインだったことでストーリー漫画よりも早く描けたことが要因だとも。そのギャグ漫画を語る上で欠かせないのが赤塚不二夫からの批判です。デビュー間もない頃、秋田書店の名物編集長・壁村耐三の誘いで赤塚に見せたところ思いがけず批判の数々を受けることに。当時の赤塚といったら「ギャグの王様」と呼ばれる人気ぶり。そんな人から批判をされたんじゃ…と思ったら永井はコレを逆手に取ります。赤塚と違って自分はエロや残酷描写がかなりある。
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天才・赤塚不二夫が描かないものをもっとつきつめればオレのギャグ漫画はアリだ…!!
これを期に以後の永井はエロや残酷描写を数多く取り入れたギャグ漫画を描いていきます。それが後の「ハレンチ学園」や「あばしり一家」などに繋がっていくことは誰もが容易に想像つくところでしょう。

ここの場面はまだ「激マン!」に登場してないのでそのうちあるかも? 思ってもいない漫画で永井豪氏のエピソードが知れて良かったです。
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