新撰組・近藤勇の首塚がある愛知県岡崎市の法蔵寺に行ってきた

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戦国武将のことを調べていたら、割と近い範囲に近藤勇の首塚があると知ったので行ってきました。愛知県岡崎市本宿町の法蔵寺です。国道一号線にほど近いところ(直線距離にして200mぐらい?)にこんな史跡があるとは知らなかったなぁ。
岡崎市は徳川家康の生誕の地であり、幼少期はこの寺で読み書きを習ったそうだ。その際に使用した硯などがまだ残っているそうです。
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常夜燈の上の方に葵の御門があります。実はこの寺は徳川家の始祖である松平家の菩提寺なんです。だから家康は幼少期にこの寺で学んだのですね。家康の父親である松平広忠の墓もあり、徳川の戦で活躍した武将の墓も存在します。
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これが首塚です。左にあるのは胸像。調べると分かりますが近藤勇の墓は多数存在します。東京の板橋刑場で斬首されて胴体は三鷹市の龍源寺で葬られたのはほぼ間違いないらしい。けれど問題は首の方。塩漬けにされて京都に運ばれ三条河原で さらし首となりました。その後 行方不明となり、この法蔵寺や福島県会津若松市の天寧寺、山形県米沢市の高国寺などにも墓があって どれが本当なのか分からない状態なんです。
  法蔵寺 (岡崎市)(Wiki)
  近藤勇の首塚の謎 各地に点在する墓所とは(探偵ファイル)
法蔵寺の説は さらし首の三晩目に同志(一説には斉藤一とも言われる)が持出して生前の勇が親しくしていた京都誓願寺の孫空義天 和尚に埋葬を依頼することにした。が、その頃の和尚は この法蔵寺の住職になっていたので この地に祀られることになりました。けれど当時の勇は逆賊の身。人目に触れるのは良くないと、石碑は土に埋められて いつしか存在自体 忘れられてしまいました。
それが昭和33年になって京都誓願寺で記録が見つかり、それに従って掘ったら石碑と台座が出土。台座に土方歳三の名があることから間違いないとなりました。私のカメラでは名前が上手く撮れなかったので↓のページにある写真をご覧ください。
  岡崎 法蔵寺探訪
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迫力ある勇の胸像。京都の壬生寺や 三鷹市の龍源寺でも同じようなものがあり、これは後年になって親族が建てたようです。
この記事を書くにあたり他の場所にある墓の記事を見たところ、観光スポットとしているのがよくわかりました。けれどこの法蔵寺ではその気が無いとしか思えない! 「誠」の旗はくたびれており、観光客が来るようにはとてもとても…
参拝者を増やす恵まれた環境にあるのだから、近藤勇の首塚をもっとアピールすべきだと思いますね。
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